真実の岸辺

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       四百

 コップに差した一輪の花の茎が曲がっている。光と水の物理的法則という真実にしたがって曲がって見えるのである。もともとまっすぐだったと知っている人にとって、その図は異様に映る。しかし、茎の実態を知らずにこれを見た場合、屈曲こそ現実であると信じるだろう。
「いや、茎はまっすぐなのだ」
 と、実態を知る人が真実を言えば、
「夢物語を言うな」
 と、実態を知らない人に逆にたしなめられるかもしれない。たとえ木が曲がっているという眺めが、生命の実態として非真実であっても、目の前に呈されている外見は現実として正しいからだ。そこで木を採り出して、
「ほら、目に見える現実は真実ではなかったでしょう、真実の影響によって生じた蜃気楼だったのです」
 と暴露する良心は、一見おせっかいで不毛なものに思われる。彼らにとって真実など知らなくても日常を円満に生きていけるからである。しかし、直覚的に居心地の悪い幻を脱して真実のオアシスの岸辺に立つことは、あながち生命の充実と無関係なものではない。彼らを真実の岸辺へ導いて、その景観に別種の円満を覚えさせる営為は、けっしておせっかいで不毛なものとは言えないのである。

 ―そこにこそ芸術と学問という忍耐の形式が登場する余地があったと、私は思っている。(ルソー『エミール』より着想)