恋愛

                                                             三百七十九

 
JUGEMテーマ:読書
 
 わが国では恋愛と性欲は卑しいものとされてきた。それが生存権を得たのは、西洋流の考え方が開国時に輸入されてから以降のことである。かつて平安を代表とする時代にその種の文学が一世を風靡したことがあったとしても、なお一般の人びとの心底では、愛と性は陰湿で品位の劣ったものとされ、それを描くことは健康な常識人の生涯を賭すべき仕事ではないと考えられた。淫蕩文学と私の目する『源氏物語』でさえ、あえて教訓的読み物に歪曲され、長きにわたって日本人特有の体裁作りが図られてきた。
 一般に日本流の覆育(ふいく)方針というものは、西洋流とは反対に、できるだけ個性を殺すことにあった。絶えずいにしえを模範とし、それに復古しようとする傾向があった。これが日本人の意識革命を遅らせた所以だが、よくも悪しくも、私たちの祖先はみなその心がけで、倫理の修養においても、自分を立てるというよりは、先哲の道を遵ることを第一義とした。とりわけ女性は、自分を殺し、私的な感情を去り、個としての長所を没却して、自らを貞女の典型に当て嵌めるよう努めた。
 まさに西洋文学はそのような歴史的環境に斬りこみ、古来の倫理道徳に凝り固まった人心から、恋愛と性欲を解放したのである。その成功の所以を考えてみればしごく当然のことで、七百年も以前に書かれたかのダンテの『神曲』ですら、この偉大な詩人の初恋を契機に生まれており、ゲーテにせよ、トルストイにせよ、バルザックにせよ、一世の師表と仰がれる人びとの作品は、不倫や、失恋や、殺人・自殺を描き、道徳的にはかなり危うい状況を扱っているのだが、それにもかかわらず、その人間を謳う調子が常人の想像を絶して高いこと到底わが国の文学の比肩し得るところではないと、いかに固陋な国民も痛切に悟ったのである。
 文学を先鋒とする諸々の芸術は、国家や国民の性向の指標であると同時に、それに一歩先んじて、その枠を超えた飛びぬけた個性と才質豊かな神人の意志の方向を示すものでなければならないことは、だれの理の通った説明を待つまでもなく自明の法則である。